皆さんこんにちは!

突然ですが、どんなジャンルにも歴史上の偉人とされる誰もが知る有名な人物がいますよね。
例えば、音楽の世界では、バッハやモーツァルト、ベートーヴェン、物理学の世界ではアインシュタイン、ニュートン、発明家としてはエジソンなど…
では、時計の世界における歴史上の偉人をあなたは何人くらいご存知でしょうか?

ということで本日より、機械式時計の歴史上の偉人たちをご紹介するシリーズをはじめようと思います!

第1回の本日は、時計史上最も有名な人物とされる、Breguetの「アブラアム・ルイ・ブレゲ」についてです♪

▲Abraham-Louis Breguet
アブラアム・ルイ・ブレゲ
1747年1月10日 ~1823年9月17日
出典 https://www.breguet.com

ブレゲは、スイス、ヌーシャテルに生まれ、15歳でスイスを離れ、フランス パリ・ヴェルサイユで時計の開発を行い、
「時計の歴史を200年早めた」と言われる天才時計師とよばれるようになります。

1775年、独立してパリのシテ島に自身の時計工房を開店した彼がまず着手した仕事は、自動巻き機構でした。自動巻き機構は、この時既にスイスの時計職人ペルレによって発明自体はされていましたが、実用化されるまでには至っていませんでした。

ブレゲはこの機構に改良を加え、実用化に成功します。
これをきっかけにブレゲの名は王侯貴族にまで一気に知れ渡ることとなります。

王侯貴族に名が通ったブレゲは、1783年、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットから懐中時計の製作の注文を受けます。その注文というのがこういった内容でした。

「金額や製作期間の制約は一切ないが、その作品は時計のあらゆる機構を持つ、最も優れていて、最も美しい時計でなくてはならない」

この無茶な難題ともいえる注文を受けた彼は、全ての仕事を中断してこの懐中時計の製作に没入します。
ブレゲの時計にかける生涯のうち、最も情熱を傾けたのが、このマリー・アントワネットからの懐中時計の製作でしょう。

ところが1789年、バスティーユ監獄襲撃に端を発するフランス革命が勃発。
王政は廃止に追い込まれ、王党派とみなされた多くの人々も粛正を受けることになり、ブレゲは1793年、生地スイスへの帰国を余儀なくされます。
パリの店は没収されることとなりますが、ブレゲは、故郷であるスイスで、時計職人として新たな挑戦へと向き合います。
そこで彼は、トゥールビヨン機構永久カレンダー機構レバー式シリンダー脱新機機構引き打ち機構といった、時計の世界になくてはならない、数々の発明を誕生させます。

1795年、再びブレゲはパリの土を踏みます。
スイスでの発明は商品として実用化され、パリの店は再び活気を取り戻します。
そしてマリー・アントワネットの注文による超複雑時計が完成しますが、この時計の完成を見ることなくマリー・アントワネットは処刑されてしまいます。

1823年、その時計にかけた一生を終えるブレゲですが、実はマリー・アントワネットだけではなく、彼自身もこの時計の完成品を手にとることがありませんでした。

自動巻き、永久カレンダー、ミニッツ・リピーターなどの複雑機能をすべて搭載したこの時計は、彼の人生とそれを受け継いだ″ブレゲの弟子と”称される職人たちが、19年もの歳月をかけて完成した、まさにブレゲの発明の集大成でした。

時計が一般化し普及品となる時代となり、ブレゲ流の時計作りはその流れに逆行するものではありましたが、1970年、パリの老舗宝石商ショーメがブレゲの復興に乗り出します。

18世紀の複雑な時計技術を現代に蘇らせたショーメ。優秀な時計職人を集め、かつてブレゲが作り上げた精密機構を極める時計をひとつひとつ分解してその仕組みを記録しました。
この地道な作業を続け、実際に時計が完成するまでには、実に10年もの歳月がかかりました。

こうして機械式時計の世界に、2世紀分の進歩と発展をもたらしたアブラハム・ルイ・ブレゲ。
激動の時代に生きた天才時計職人の技術と思想は、彼の創設した時計メーカー・ブレゲ、パテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲ、ランゲ・アンド・ゾーネとともに世界5大時計と呼ばれ、現在もなお受け継がれています。

ブレゲの強い想いが現在のブレゲ社の時計で表現され、人々に愛され続けています。
これほどまでに「創設者に対する想い」が強いメーカーはなかなかありません。

いかがでしたか?
Breguetの腕時計に魅力をあなたも是非お手に取って実感してみてください!

実際に着けてみたくなった方はこちら♪